「私のところは来た客の品定めをしたがるけれど、良いのかな」と笑いながらインタビューに応じてくれた多田学所長。営業はしないので、仕事は以前手がけた施主や関係者からの依頼で成り立っている。事務所内では所員達が黙々と仕事と向かい合う・・・仕事が終われば、愛猫5匹に囲まれ、気に入った人間と気楽に酒を酌み交わすが、仕事に関しては厳しい人間。それまでとても優しかった眼差しが、設計を語る時には一変して眼光鋭く相手を見据えてくる。それは仕事を語ることが人生観を語る事に他ならないからだろう。採用する所員にであれ、仕事の依頼主にであれ、一つのハードルを設けてそれを乗り越えてアタックする人しか相手にしない。以下はインタビューに応じてくれたそんな彼の言葉をつづったものだが、今から家を建築したいと思っている人にはとても参考になる話に違いない。(掲載した写真に関して:仕事関連の写真は事務所のホームページに掲載されているので敢えて個人的な写真を提供していただきました。)
『建築の注文者は設計屋任せにしてはいけないということです。余程信頼出来ると判った相手なら有り得るかも知れませんが、そんな設計屋は数多く存在しません。信頼に足る設計屋というのは、しつこい位、あなたの本当に望むものはこれなのかと、問いかけてくる人間です。その問いかけは注文主と共に一つの目標に向かう熱い思いの共有なのです。ですから、心から満足できる建物を手に入れる事のできる注文者は自分の知恵、時間、エネルギーを面倒がらず注ぎ込んで、注文者だけが持っている自分の夢の世界に、設計屋をその気にさせて上手に引き込める方です。手間がかかるようでも、そんな昔ながらの泥臭い方法が、長い目でみれば、自分の望むものを手に入れる一番の近道だと思います。
つまり御自分とウマの合う設計屋を選ばれる事です。簡単な事、難しいこと、思いつき、熟考した事、なんでも気楽にぶつけられる環境、関係を築くことは、思いの外大切な要素です。我々設計屋にしても、同じ苦労をするなら楽しい仕事、痛快な仕事をしたいし、ウマの合わない注文主の仕事は、竣工後もクレームだらけになってしまう例が時にある為、私に限れば、嫌な予感のする仕事はなるべくお断りするよう心掛けています。仕事は欲しくても、欲を優先させるとロクな人生にならないと思います。計画案を考えながら、しばらくお付合いしない限り、互いの性格、能力は判りません。私は幾つかの計画案を造り、相手の希望、性格を理解した後、上手く行くと思えた時でないと設計契約しません。発注者とは、死ぬまでの永い付き合いになる事が多いので、気楽に誰とでも関係構築するべきでは無いと思っています。』
仕事に関しての厳しさといえばいいのか、それとも仕事に関わるこだわりといえばいいのか、その根底にある人と人のつながりが仕事そのものということなのかもしれない。
さらに注文主と設計者の関係が語られる。
『注文主の言うがままの図面を描いてくる設計屋はダメです。注文主が幾ら一生懸命話しても、その言葉に全てが上手く表現されている訳がありませんし、一見矛盾した希望が並存する事も多いと思います。注文者の、言葉では上手く表現出来ない思い、矛盾した意見の背後に隠された本当の願望、そんな今は見えない事象を感知し、(色んな意見をおっしゃったが、お望みの世界はこんなものではないですか)と、聞いた言葉を自分の心で咀嚼し、自分の知恵を盛り込んで提案するのが、心ある設計屋のあるべき姿の筈です。そんな心の測りあいの過程で、互いの相性が、やっと見えてくるのだろうと思います。』
『自分の設計姿勢は、生業とする仕事を介し自分なりに痛快な人生を楽しもうとすれば、自然と素直に生まれてくるものに過ぎない』 語りの終わりはやっぱり人生観そのものを表現しているように思えた。
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