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レポート


ウォーキングガイド「山の辺の道」

若葉が鮮やかさを増していく初夏の道を、ただのんびりと歩きたくて、奈良の山の辺の道を選んだ。


「大和は国のまほろば」の言葉の通り、古墳や歴史のある神社など太古の香りのする大和盆地の東の端を走る「山の辺の道」を桜井駅から北に向かって歩き始めた。
近鉄大阪線の桜井駅を降り、三輪山方向を目指して歩き始める。
歴史街道と書かれた道路に沿って歩いていくと初瀬川に出る。山の辺の道の標識に従って渡った橋の前に大きな石碑。
「仏教伝来の地の碑」とある。
そのまま標識通りに進み、山の辺の道に入る。古代の市場が開かれた場所とされる海石榴市(つばいち)跡の道標を越え、「金屋の石仏」方面に坂を上る。落ち着きのある町並みの中を歩き、集落から少し外れたところにその石仏は祭られていた。
 
今は格子戸のついた祠に納まっている二枚の石仏は残念ながらはっきりと見えなかった。
そのまま歩き平等寺の赤門に出る。
 
階段を上って赤門をくぐると、ツツジや藤が色鮮やかに咲いた境内。ハイカーなど人出も割と多いが、静けさがある。正面の鳥居をくぐり、また山の辺の道に戻る。

大きな舗装道路に出ると、ここが第一目的地の大神(おおみわ)神社。
しかし正面の大鳥居までは少し下って行かなくてはいけない。お茶会が催されていて、正月でもないのに着物姿のご婦人方が大勢並んでいる中をリュック姿で歩き、正面の鳥居に出た。
木製の大きな鳥居がそびえ、そこをくぐると、両側に立派な杉の木が並ぶ参道が続いている。
ここ大神神社は別名三輪明神といわれ、大和朝廷が出来る前から民間信仰を集めていた。
大きな拝殿は、巨人軍の清原選手が結婚式を挙げたところとしても有名。
歴史の重さを感じさせてくれる厳かなたたずまいのなか大勢の参拝者が訪れている。お酒の神様でもあるので、いつも何かとお酒にお世話になっている私としてはお参りしておかなくてはいけない。

境内西側の社の横から薬の神様を祭る「狭井(さい)神社」に向かう。
途中の道の両側には薬草が植えられていて、その薬草の効能等が立て札に示されていた。

三輪山山上への登り口を過ぎ、西側に点在する古墳の姿を眺めながら、道の両側や田畑に咲く初夏の花を楽しむ。この日はレンゲ畑で写真を撮ったり、スケッチでもしてみるつもりで来ているのに、例年よりもずいぶん早く暑くなってしまったせいなのか、レンゲが畑の脇に少し生えているところはあっても、畑全体に咲いているのがなかなか見つからない。
そのまま林の中を歩けば、すぐに狭井神社にはたどり着くが、小さな社ひとつしかない神社だった。そこを過ぎるとまた林を抜けて目の前に山と盆地が広がる。

晴天とはいかないまでも、薄日の漏れる曇り空で、少し暑い。それまでなだらかなカーブを描いて続いていた路が、行き止まりになって左折れして短い登り坂になっている。
そこが平安時代、興福寺の玄(げん)賓(ぴん)和尚の隠れ住んだとされる玄賓庵(げんぴんあん)。
質素ながら品のある構えのたたずまいの白壁が印象的。酒を飲んで入ってはいけませんという意味らしい門の横の石柱が酒飲みの我が身には少し重く感じられた。

天照大神を祭る元伊勢、桧原神社にたどり着くまでの間、山の斜面に沿った道の林の切れ間から山里を這う緑の垣根のように延びる木立。まさに「青垣」と表現されるのにふさわしい風景。


暫く社寺も無く、心地よい風の吹く野を歩く。2キロほど西に行けば、卑弥呼の墓かもしれないとちょっとしたブームになっている箸墓があるはずだが、見えない。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ) = 卑弥呼なのだろうか?そんなことを考えながら緑の中を歩く。
道端には無人の露天が多く出ていて、八朔や夏みかんなどがこの日は多かった。100円で、八朔が4個から6個、夏みかんだと2個から3個入っている。買った後で、量や質のいい物を見つけて悔しがっている人もいる。野菜は残念ながら売り切れのところが多かった。
珠城山古墳群のあたりの農地に、やっと目的のレンゲがいっぱい咲いているところがあった。残念ながら色あせてしまっているものも多いが、畑の横に腰を下ろし、スケッチを始める。久しぶりのスケッチで、思うように描けない。水彩絵の具で簡単な色づけをしてみたが、やっぱり思うのとは程遠いものになってしまった。
そのままそこで昼食を済ませる。のどかな農園の風景と、草を焼く幾筋かの煙の柱、山之辺の道を行く大勢の人の列、古墳なのか、緑の深い枝木をつけた小高い丘の方で鳴くウグイスの声。ここで昼寝と行きたいところだが、もうそこそこ時間も経ってしまっている。腰を上げて景行天皇陵を目指す。
程なく、景行天皇陵(渋谷向山古墳)の西側に着いたが、やはり表から見てみようということで、ぐるっと半周して国道169号線まで出て、正面の鳥居にたどり着いた。景行天皇は日本創生の伝説の英雄ヤマトタケルノミコトのお父さんということになっている。
木々に覆われた、このものすごいお墓(?)も、当然なのかも。
山の辺の道には戻らず、そのまま国道169号線を北に向かう。渋谷バス停を過ぎると櫛山古墳群の史跡公園。そのすぐ先に崇神天皇陵(行灯山古墳)が山影を見せる。確かにデカい。国道からすぐに入っていける。
石段を上り、鳥居の向こう側を窺うと、水を満々とたたえた堀の向こうに浮かぶ森の山。すぐ横の国道をあわただしく行き交う車の音がなぜか聞こえなかった。
階段を下り、山の辺の道に戻るためにこの御陵の脇を歩くことにした。
しかし、改めて感じることは、とにかくデカい。全長240メートルの前方後円墳の横を歩いているだけで、山を歩いてる感じになれる。

御陵の裏手が山の辺の道とつながっている。それを北に向かい、すぐに「トレイル青垣」という大きな墓園に出る。それを過ぎたところに「釜ノ口山 長岳寺」がある。
 
桜井と天理のちょうど中間ぐらいにあり、阿弥陀如来像など重要文化財のある山の辺の道のメインの訪問先の一つ。満開のツツジの参道に導かれ、平安時代に造られた重要文化財の鐘楼門にでる。それをくぐり本道に向かう。
 
重要文化財を収めた大振りな屋根が印象的な本堂、ツツジにアヤメ(?)、かきつばたに彩られたきれいな池。四国四十八箇所の祠を広い寺内の山に配して、ここで四国遍路もできるらしい。以前は「根上りの松」が大門前にあったはずだが、枯れてしまったのか、無かったように思う。
長岳寺を出るころには、陽が西にだいぶ傾いてしまっていた。
もう少し歩きたいとも思うが、今日はこの辺にして、歴史に触れた心地良さを持って帰ることにして、JRの柳本駅に向かった。






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