大阪市北区の堂島川と土佐堀川に挟まれた中州で、大阪の人にとっては言わずと知れた大阪市の行政の中心地。
そして、大阪を代表する企業のあるビジネス街でもあり、また最初の大阪市立の公園や世界的に評価の高い陶磁器の美術館もあれば、大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれ東京をはるかにしのぐ経済力を持っていた。
大正~昭和初期の建築物も残る歴史と文化の街でもある。
こんな大阪市民と深い関わりを持っている中之島だが、市役所や中央公会堂に行ったことがあっても、中之島のオフィスで働いていても、取引先が中之島に有る人でも、中之島を一周した事のある人はほとんどいないのでは?
今回はこの東西およそ3キロの島を一周してみることにする。
土佐堀川に架かるこの橋を渡れば中之島に入るが、その前に交差点の少し西側に、威風堂々とした建物が見える。日本銀行の新館と土佐堀川を挟んだ位置に立つこの建物は、三井・三菱と並ぶ日本三大財閥だった住友の中心的存在の旧住友銀行本店がある。
現在はさくら銀行と合併して三井住友銀行になり、本社も東京に移したようだが、この建物はクラッシックのコンサートがロビーで行われるくらい、天井の高さや遮音性、反響の具合も良く、またそれが似合う場所でもある。
中之島界隈が日本経済の中心だったころの面影がしのばれる。
中之島を挟む両河川の堤防のほとんどが遊歩道として整備されているので、中之島にある建物の外観を見るには対岸の遊歩道から眺めるほうが見上げる必要もないので良いかもしれないが、今回は中之島一周ということで、中之島側の遊歩道を歩くことにして、淀屋橋を渡り中之島に入る。
御堂筋を挟んで東に大阪市役所、西に日本銀行大阪支店が建っている。
旧大阪市役所は向かいの日本銀行大阪支店本館と並び、大正の名建築物といわれたが、現在の建物には残念ながらその面影は全く無い。しかし、重厚間のある建物で、大阪市行政の中心としての役割を果たしている。
毎年10月に開かれる御堂筋パレードのスタート地点にもなっている。
市役所の食堂は一般の人にも開放されていて、昼食時には安さの魅力もあって賑わっている。市役所に向かい合う形で建っている日本銀行大阪支店は、東京の本店と同じスタイルで建てられている。
経済の中心を政治の中心から離すことが考えられていたため、大阪支店が日本銀行本店になっても遜色のない建物を作ったといわれている。確かに立派な建物だ。
日本銀行の南側の道を西の肥後橋に向かうことから中之島一周をスタートさせる。
旧住友銀行本店を川越しに見ながら阪神高速を過ぎると橋が見えてくる。この橋が錦橋で、石造りの橋の真ん中に江戸時代の錦橋の様子を描いたタイル絵がある。
この橋の向かいの白い壁にオブジェが飾られている建物がフェスティバルホール。
}最高級の音響施設として、数々のコンサートが行われてきた大阪の音楽史には欠かせない存在だ。
錦橋と並んでいる橋が肥後橋で、この橋を通っている道路が大阪駅と大国町方面を結んでいる四ツ橋筋。
その四ツ橋筋を渡ったところにあるビルが日本のマスコミの雄として君臨している朝日新聞社のビルで、角の丸いどっしりとした落ち着きがある。
住友と三井の銀行は合併したが、中之島は住友と三井のグループ企業も多い。
住友ビルと現在新築中の三井ビルが並んで建っているのを見ると、グループ自体が一緒に成る事が元々決まっていたんじゃないかと思ってしまう。
関西電力本社から道が二手に分かれていて、南側の川沿いの道をとる。筑前橋を過ぎ、工事中のフェンス越しに市立科学館が見え、フェンスが切れるところが市立科学館前の広場。
常安橋を渡る通りがなにわ筋。旧住友病院跡を過ぎ、川を渡る越中橋という歩道橋が架かり、その北側に新築の白さが異様に際立つ住友病院がそびえている。
あみだ池筋が通る土佐堀橋を過ぎて、前方に高速道路が上を走る新なにわ筋が見え、その手前に白い高層ビルが建っている。
中之島センタービルでホテルも併設してある。
ここを越えると中之島のいよいよ西の端。公園とユニーバーサルスタジオ行きの乗船場があり、中央卸売市場のすぐそばに出る。
道を引き返し、中之島センタービルの北側の遊歩道を、高層のマンションやオフィスビルを見ながら歩く。
あみだ池筋の堂島大橋の東角にある巨大なパラボラアンテナを屋根に二つも付けたゴツイ建物が大阪国際会議場。
大阪でのサミット開催を見込んで作られた超ハイテクの大型会議場。
結局サミットは沖縄で開かれ、招致に失敗した大阪はこの会議場をどうするだろうかって思っていたが、結構利用されているようなことが新聞に出ていたので一安心。
その隣一帯が大阪にも東京に負けない宿泊施設を作ろうと、関西財界が集まって建てたロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)。
長い間、東京の三大ホテル(帝国、ニューオータニ、オオクラ)と並んで大阪のロイヤルといわれ、大阪のホテルの代名詞でもある。
なにわ筋の手前がNTTビルで、その南側には扇町高校がある。なにわ筋を超え、日本生命ビルの向こうは阪大医学部跡地で、広い跡地の再開発工事がすでに始まっている。
田蓑橋の東には、大阪が日本経済の中心として東洋のマンチェスターと呼ばれていた大正14年に、日本を代表する建築家、渡辺 節の設計で立てられた大ビルがある。
交差点の対角から全体の構図を見たとき、シンプルなデザインだが、重厚感があって実に美しいビルだ。
ビルの丸みを帯びた角を中心に見ると、巨大な船を思わせてもくれる。中央の入口の上には大国貞蔵作の「鷲と少女の像」が飾られている。
それを過ぎると南側の通りから見ていたのと同じビル郡が並び、渡辺橋を過ぎて日本銀行の北側に出る。
やっと戻ってきたかと思ったが、まだビジネス街が終わったところ。
残り半分の文化の街の方が残っている。
大江橋から市役所を南に見ながら石造りの水晶橋に出る。
この南側の建物が大阪府立中央図書館。
大正建築の逸品で、正面の厳格さと左右の棟とのバランスの良さ、中に入れば吹き抜けのホール天井にある光が差し込むガラス張りのドームの艶やかさ、板張りの床、高い天井、白い壁、いつも書籍や新聞に向かう人でいっぱいなのに緊張感のある静けさがある。
現在は東大阪に中央図書館としての使命は移したが、未だに格調高く愛すべき図書館だ。
その隣のフェンスで覆われた建物が中央公会堂。
現在建築当時のものにするべく工事がされていて、これが終われば色鮮やかな大正のロマンを漂わせた姿を見ることが出来る。
大正7年に株の仲買人だった岩本栄之助が大阪市に寄贈したもので、完成を待たず岩元は株の暴落で自殺してしまったのだが、完成した公会堂はその名前通り様々なイベントに利用され、市民に親しまれる建物になっている。
大阪市民なら何らかのイベントでここを訪れた人も多いだろう。
また地下の食堂も人気があった。
中央公会堂前のロータリーの向かい側に東洋陶磁美術館がある。
旧安宅財閥が所有していた世界最高級の陶器・青磁器・白磁器が大阪市に寄付され、そのコレクションを中心に展示している。
その先が中之島公園につながる。市役所の南側から中之島の東の端までが中之島公園で、大阪市立としては最初に出来た公園で、誰でも手軽に借りられるテニスコートや野外音楽堂があり、その奥にはバラ園があり、ほとんどどのシーズンでもきれいに咲いているバラを見ることが出来る。
川面と高さの差がほとんどないので、水を身近に感じられる。
さらに一番東の端まで行けばすぐそこに天神橋のOMMビルが見え、京橋OBPの建物も見て取れる。
天神祭りの時にはにぎやかな船が川面を往来するが、その他の日は淀屋橋とOBPの間を走る水上バスを眺めることになる。
土佐堀の南側、大阪の証券街北浜にある建物を眺めながら淀屋橋に戻る。夕暮れが近づいて明かりがともり始めた街の姿が川に映り、きれいな夕焼けの風景と馴染んでいた。
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