10 「大阪ドーム~心斎橋」
今回は御堂筋を南下して、道頓堀、千日前、そして中央大通(千日前通り)を歩いて鶴橋までのレポート。
アメリカ村を抜け、御堂筋を渡るとオープンカフェを広げたビルがあり、その奥に心斎橋筋商店街の賑やかな人通りが見える周坊(すぼう)町筋。御堂筋の東側はアメリカ村に対抗して命名された「ヨーロッパ通り」という。命名された当時はおしゃれな高級飲食店で埋め尽くされていたが、今はその風体も変わってきている。少し北に行けば大丸、そしてそごう(新会社もこの名称を使用)があり、長堀通りに出る。御堂筋と長堀通りの交差点「新橋」界隈はこのところシャネルやカルティエ、ルイヴィトンなどの有名ブランドが続々と出店している。長堀通りの下には、大阪市の開発した大赤字の地下街「クリスタ長堀」と市営駐車場、そして複雑なルートを描く地下鉄鶴見緑地線が走っている。
一般的にミナミといわれているのは、北は長堀通りから南の高島屋まで、東西は堺筋から四ツ橋筋まで。その中で飲食店の密集するのが中央大通りからこの周坊町筋まで。大阪では北の新地と比べられることが多いが、新地や曽根座や東通りなども含めた梅田そのものに匹敵するくらいの飲食店がひしめき合う、日本屈指の歓楽街。
心斎橋筋商店街をなんば方面に歩いていくのが一番華やかで良いのだろうが、心斎橋筋商店街はまた別の機会に紹介することもあって、人混みの中を歩くのを避けて銀杏並木の御堂筋を南下することにした。
大阪市の中心部を南北に走る御堂筋。1000本近い銀杏で飾られたこの道路は現大阪市長の関淳一氏のおじいさんの関一氏が第7代大阪市長になる前の助役時代、高速鉄道(地下鉄御堂筋線)の敷設に伴って計画したもので、完成したのは昭和12年。元々は道幅3間(5.4m)、長さ1.3kmしかなかった狭い道を、まだ自動車の数も少なかった当時としては異例な飛行場でも作るのか?と揶揄されるくらいの、幅43.6m、長さ4kmにもおよぶ巨大道路に作り変えてしまった。地下鉄も合わせたこの工事には、資金不足や住民の反対、地盤のもろさといった問題が山ほどあったらしいが、関一市長自らが大阪の未来を見据えてこの道路と地下鉄の必要性を住民との対話で直接訴えた情熱と、道路や地下鉄が出来ることで利益を得る業者への新税の導入での財源確保など、国に頼らない独自の知恵でそれらを乗り越えたといわれる。ちなみに大阪のシンボル大阪城を住民の寄付によって再建するようにしたのもこの市長なら、財政難の折に市の拡大政策を図って淀川の北側(現在の淀川区、東淀川区、西淀川区)を大阪市に編入したのもこの市長。行政がなすべきことと住民がなすべきことをはっきりと示し、問題を先延ばしせずに陣頭指揮を執り、必ず住民の利益になるような市政、そんな行政が行うべき基本中の基本のことを実践して当時の商都大阪を作り上げていった。関一氏は関東の人で、同時期、大阪の経済を発展させ商工大臣にもなって日本経済を支えた阪急・東宝グループの創設者の小林一三も関東人。大阪の大変革期に現れた行政と経済の偉人は、関西の人でなかった分しがらみにとらわれることなく、理想を推し進められたのかもしれない。果たして、大阪で生まれ育った関純一市長は偉大なおじいさんと並び称せられる日は来るのだろうか?
周坊(すぼう)町筋の一筋南がアメリカ村の南側にある御津八幡神社の前を通っている八幡筋。その南の三津寺筋の名前の基になった三津寺は御堂筋と三津寺筋のちょうど角にある。そして道頓堀川の手前が宗右衛門町筋で道頓堀を開くのに貢献した山口屋宗右衛門にちなんで命名された。道頓堀川を挟んだ道頓堀筋と共に多くの飲食店でにぎわっている。
この筋を左(東)に折れ、最初の信号のある橋が通称ひっかけ橋の「戎橋」。橋の反対側は本町まで続く心斎橋筋商店街。この橋を渡るといよいよ道頓堀筋で、橋の左の袂にはおなじみの動く巨大カニの看板が。右には松竹座の歴史と風格のある姿が見える。江戸時代のはじめ安井道頓(どうとん)が後に八百八橋といわれた大坂の水上交通網の主要航路になるこの運河を私費を投じて作ったことから名がつけられた道頓堀。完成したのはその息子の道ト(どうぼく)の時。その後、芝居小屋が集まり浪花五座あるいは道頓堀五座と呼ばれ、大衆の歓楽街として定着した。芝居小屋は明治の頃までこの界隈の賑わいの中心だった。
戎橋の南正面には戎橋筋商店街。この商店街を抜けると高島屋、南海難波駅に出る。その周辺は大阪球場の跡に難波パークスが完成して賑わいを取り戻している。
道頓堀筋をカニの看板を見上げながら左に行く。この界隈の看板や店の作りはカニに限らず華やかでユニークなものが多い。その中でもカニの看板と同じくらい有名な和洋中なんでもありの食堂の前に立つ人形がすぐに右側に見える。それを過ぎると千日前筋のアーケイドが右手に表れる。この隣の筋が相生橋筋で、角にある屋台のたこ焼き屋にはいつも行列が出来ている。ただ同じたこ焼き屋の屋台が2件並んでいて、並んでいる人は本当はどっちのたこ焼きを買おうと思って並んでいるのかわかってないんちゃうの?と思ってしまう。
今はこの屋台の向かいのお好み焼きの屋台も人気。
千日前筋に戻り、アーケイドの中に入る。人気ラーメン店、お好み焼き店などがあり、アーケイドの中ほどに「法善寺」の看板が右側の上のほうに掲げられている。でも白木の看板はあまり目立たないので見過ごしてしまうかも。狭い路地の入り口に「法善寺横町」と書かれている。
中座取り壊しのための工事中に爆発事故を起こしてこの法善寺横丁まで壊してしまった。中座の跡地はパチンコ屋のビルに建て替わったが、その事故当時の法善寺横町は建築基準法など法律の問題で以前と同じように再建するのは難しいとされた。それを市民の運動もあって有名観光地でもあり景観保護のためということで再建が許された。しかし市民の寄付などで再興してすぐ今度は横町内で失火があり、また十数件の店が閉じられてしまった。今でもまだ再開していない店もあるが、開いている店々が織田作之助をはじめ多くの小説や唄にも登場する作品で知られるこの横丁の雰囲気を醸し出している。その奥に鎮座する法善寺の苔むした水掛不動には今日もお参りに来る人の列が絶えない。
法善寺の東門?を出たところには浮世絵博物館がある。その南の洒落たレトロなカフェを眺めながら中央大通りに出る。千日前筋の地下には地下鉄千日前線が走り、昔「虹の街」と呼ばれた地下街「なんばウォーク」がある。
千日前筋の方に戻り、信号を渡って千日前筋の向こうに。目前の以前百貨店だった建物には大手の電気店が入っている。その向かい、今はサウナになっている場所には、大阪が生んだ風俗のひとつアルバイトサロン通称アルサロの一号店「ユメノクニ」があった。さらに南に進めば、いまや大阪そのもののように全国に認知されている吉本興業の総本山「NGKシアター」がある。昔はこの地下にディスコ「デッセジェニー」(銭でっせを逆さにした)があったが、今はゲームセンターになっている。その向かいに大阪市が上方の演芸を紹介する施設「ワッハ上方」がある。このビルの入り口の水の流れている壁には時折炎が水の中を走るという面白い仕掛けがしてある。
その南にあるアーケイドの付いた商店街が道具屋筋。この一筋で食器や厨房用品、看板、暖簾、屋台まで飲食店のあらゆるものがそろってしまう。が、映画館もある。アーケイドに入らずに左に折れるとこの筋には家具屋が並んでいる。その家具屋を冷やかしながら堺筋まで出る。
右に行けば東京の秋葉原と並ぶ電気の街「日本橋」。しかし今回は千日前筋の方に戻る。堺筋を渡ったところに大阪の市場の代名詞「黒門市場」がある。その中を通って北に向かい、また中央大通りに出ると通りの向こうに「国立文楽劇場」が見える。大阪の高校に通っていた人なら古典の授業の一環としてここを訪れた人も多いだろう。
千日前筋を東に向かって下寺町の交差点に出る。この南東側は生国魂神社をはじめとする歴史散策のコースとして以前取り上げた。この交差点の北東に仁徳天皇を祭っている「高津宮」がある。この神社はかつて最良の展望地だったそうなので仁徳天皇陵が見えていたのかもしれない。今でも少し高いところにあって、階段が何箇所か付いている。その中には悪縁を絶つ『縁切り坂』や良縁に恵まれるという『相合坂』という階段もあるので試してみるのもいいかも。
上り坂になった道をそのまま進んで大きな交差点に出る。ここが谷町九丁目。そのすぐ先の交差点が上本町六丁目(通称上六)。地味なオフィス街としてしか見られてなかったのが、最近マスコミに取り上げられる店が増え、ちょっと注目される街になり始めている。堀江のような感じで新しい息吹がここで花咲いていくのかもしれない。しかしなんといってもここは近鉄上本町駅、近鉄百貨店、閉鎖されてしまったが近鉄劇場などの近鉄グループが集まった近畿日本鉄道の本拠地。球団名売却問題などで世間をお騒がせしているが、日本最大の私鉄会社はこの先どうなっていくのだろう、などと考えながら、そのまま東に向かって近鉄グループの都ホテルを過ぎる頃から下り坂になる。
日赤病院あたりから上町台地を下った下町の風情あふれるJR鶴橋駅の高架が見えてくる。鶴橋のその賑やかさが焼肉の匂いと一緒になって伝わってきそうだ。焼肉屋だけじゃなく、チェーン展開している有名なラーメン屋やお好み焼き屋の本店などもある。国際マーケットを見て歩くだけでも楽しいし、東の生鮮市場「木川市場」は早朝から活気に包まれる。鶴橋やその周辺のことももっと書きたいが、長くなりすぎるので次の機会にする。
完結までに長い時間がかかってしまったが、西九条~鶴橋も歩くだけなら2時間くらいのもの。見慣れた街並みの中にちょっとは新鮮さを感じてもらえたかな?と思いつつ、今回の環状線横断歩行を終わることにする。
15 「鉄人28号がいる復興の町新長田」へ⇒
14 「大正区渡船場巡り」へ⇒
13 「神戸東灘酒蔵めぐり」へ⇒
12 「天神橋筋商店街」へ⇒
11 「阪神尼崎駅周辺」へ⇒
10 「心斎橋~鶴橋」へ⇒
9 「大阪ドーム~心斎橋」へ⇒
8 「JR西九条~九条~大阪ドーム」へ⇒
7 「チンチン電車と住吉大社」へ⇒
6 「上町台地」へ⇒
5 「長居スタジアム周辺」へ⇒
4 「福島駅から新梅田シティ周辺」へ⇒
3 「海遊館周辺」へ⇒
2 「中之島」へ⇒
1 「新世界編」へ⇒
今回は御堂筋を南下して、道頓堀、千日前、そして中央大通(千日前通り)を歩いて鶴橋までのレポート。
アメリカ村を抜け、御堂筋を渡るとオープンカフェを広げたビルがあり、その奥に心斎橋筋商店街の賑やかな人通りが見える周坊(すぼう)町筋。御堂筋の東側はアメリカ村に対抗して命名された「ヨーロッパ通り」という。命名された当時はおしゃれな高級飲食店で埋め尽くされていたが、今はその風体も変わってきている。少し北に行けば大丸、そしてそごう(新会社もこの名称を使用)があり、長堀通りに出る。御堂筋と長堀通りの交差点「新橋」界隈はこのところシャネルやカルティエ、ルイヴィトンなどの有名ブランドが続々と出店している。長堀通りの下には、大阪市の開発した大赤字の地下街「クリスタ長堀」と市営駐車場、そして複雑なルートを描く地下鉄鶴見緑地線が走っている。
一般的にミナミといわれているのは、北は長堀通りから南の高島屋まで、東西は堺筋から四ツ橋筋まで。その中で飲食店の密集するのが中央大通りからこの周坊町筋まで。大阪では北の新地と比べられることが多いが、新地や曽根座や東通りなども含めた梅田そのものに匹敵するくらいの飲食店がひしめき合う、日本屈指の歓楽街。
心斎橋筋商店街をなんば方面に歩いていくのが一番華やかで良いのだろうが、心斎橋筋商店街はまた別の機会に紹介することもあって、人混みの中を歩くのを避けて銀杏並木の御堂筋を南下することにした。
大阪市の中心部を南北に走る御堂筋。1000本近い銀杏で飾られたこの道路は現大阪市長の関淳一氏のおじいさんの関一氏が第7代大阪市長になる前の助役時代、高速鉄道(地下鉄御堂筋線)の敷設に伴って計画したもので、完成したのは昭和12年。元々は道幅3間(5.4m)、長さ1.3kmしかなかった狭い道を、まだ自動車の数も少なかった当時としては異例な飛行場でも作るのか?と揶揄されるくらいの、幅43.6m、長さ4kmにもおよぶ巨大道路に作り変えてしまった。地下鉄も合わせたこの工事には、資金不足や住民の反対、地盤のもろさといった問題が山ほどあったらしいが、関一市長自らが大阪の未来を見据えてこの道路と地下鉄の必要性を住民との対話で直接訴えた情熱と、道路や地下鉄が出来ることで利益を得る業者への新税の導入での財源確保など、国に頼らない独自の知恵でそれらを乗り越えたといわれる。ちなみに大阪のシンボル大阪城を住民の寄付によって再建するようにしたのもこの市長なら、財政難の折に市の拡大政策を図って淀川の北側(現在の淀川区、東淀川区、西淀川区)を大阪市に編入したのもこの市長。行政がなすべきことと住民がなすべきことをはっきりと示し、問題を先延ばしせずに陣頭指揮を執り、必ず住民の利益になるような市政、そんな行政が行うべき基本中の基本のことを実践して当時の商都大阪を作り上げていった。関一氏は関東の人で、同時期、大阪の経済を発展させ商工大臣にもなって日本経済を支えた阪急・東宝グループの創設者の小林一三も関東人。大阪の大変革期に現れた行政と経済の偉人は、関西の人でなかった分しがらみにとらわれることなく、理想を推し進められたのかもしれない。果たして、大阪で生まれ育った関純一市長は偉大なおじいさんと並び称せられる日は来るのだろうか?
周坊(すぼう)町筋の一筋南がアメリカ村の南側にある御津八幡神社の前を通っている八幡筋。その南の三津寺筋の名前の基になった三津寺は御堂筋と三津寺筋のちょうど角にある。そして道頓堀川の手前が宗右衛門町筋で道頓堀を開くのに貢献した山口屋宗右衛門にちなんで命名された。道頓堀川を挟んだ道頓堀筋と共に多くの飲食店でにぎわっている。
この筋を左(東)に折れ、最初の信号のある橋が通称ひっかけ橋の「戎橋」。橋の反対側は本町まで続く心斎橋筋商店街。この橋を渡るといよいよ道頓堀筋で、橋の左の袂にはおなじみの動く巨大カニの看板が。右には松竹座の歴史と風格のある姿が見える。江戸時代のはじめ安井道頓(どうとん)が後に八百八橋といわれた大坂の水上交通網の主要航路になるこの運河を私費を投じて作ったことから名がつけられた道頓堀。完成したのはその息子の道ト(どうぼく)の時。その後、芝居小屋が集まり浪花五座あるいは道頓堀五座と呼ばれ、大衆の歓楽街として定着した。芝居小屋は明治の頃までこの界隈の賑わいの中心だった。
戎橋の南正面には戎橋筋商店街。この商店街を抜けると高島屋、南海難波駅に出る。その周辺は大阪球場の跡に難波パークスが完成して賑わいを取り戻している。
道頓堀筋をカニの看板を見上げながら左に行く。この界隈の看板や店の作りはカニに限らず華やかでユニークなものが多い。その中でもカニの看板と同じくらい有名な和洋中なんでもありの食堂の前に立つ人形がすぐに右側に見える。それを過ぎると千日前筋のアーケイドが右手に表れる。この隣の筋が相生橋筋で、角にある屋台のたこ焼き屋にはいつも行列が出来ている。ただ同じたこ焼き屋の屋台が2件並んでいて、並んでいる人は本当はどっちのたこ焼きを買おうと思って並んでいるのかわかってないんちゃうの?と思ってしまう。
今はこの屋台の向かいのお好み焼きの屋台も人気。
千日前筋に戻り、アーケイドの中に入る。人気ラーメン店、お好み焼き店などがあり、アーケイドの中ほどに「法善寺」の看板が右側の上のほうに掲げられている。でも白木の看板はあまり目立たないので見過ごしてしまうかも。狭い路地の入り口に「法善寺横町」と書かれている。
中座取り壊しのための工事中に爆発事故を起こしてこの法善寺横丁まで壊してしまった。中座の跡地はパチンコ屋のビルに建て替わったが、その事故当時の法善寺横町は建築基準法など法律の問題で以前と同じように再建するのは難しいとされた。それを市民の運動もあって有名観光地でもあり景観保護のためということで再建が許された。しかし市民の寄付などで再興してすぐ今度は横町内で失火があり、また十数件の店が閉じられてしまった。今でもまだ再開していない店もあるが、開いている店々が織田作之助をはじめ多くの小説や唄にも登場する作品で知られるこの横丁の雰囲気を醸し出している。その奥に鎮座する法善寺の苔むした水掛不動には今日もお参りに来る人の列が絶えない。
法善寺の東門?を出たところには浮世絵博物館がある。その南の洒落たレトロなカフェを眺めながら中央大通りに出る。千日前筋の地下には地下鉄千日前線が走り、昔「虹の街」と呼ばれた地下街「なんばウォーク」がある。
千日前筋の方に戻り、信号を渡って千日前筋の向こうに。目前の以前百貨店だった建物には大手の電気店が入っている。その向かい、今はサウナになっている場所には、大阪が生んだ風俗のひとつアルバイトサロン通称アルサロの一号店「ユメノクニ」があった。さらに南に進めば、いまや大阪そのもののように全国に認知されている吉本興業の総本山「NGKシアター」がある。昔はこの地下にディスコ「デッセジェニー」(銭でっせを逆さにした)があったが、今はゲームセンターになっている。その向かいに大阪市が上方の演芸を紹介する施設「ワッハ上方」がある。このビルの入り口の水の流れている壁には時折炎が水の中を走るという面白い仕掛けがしてある。
その南にあるアーケイドの付いた商店街が道具屋筋。この一筋で食器や厨房用品、看板、暖簾、屋台まで飲食店のあらゆるものがそろってしまう。が、映画館もある。アーケイドに入らずに左に折れるとこの筋には家具屋が並んでいる。その家具屋を冷やかしながら堺筋まで出る。
右に行けば東京の秋葉原と並ぶ電気の街「日本橋」。しかし今回は千日前筋の方に戻る。堺筋を渡ったところに大阪の市場の代名詞「黒門市場」がある。その中を通って北に向かい、また中央大通りに出ると通りの向こうに「国立文楽劇場」が見える。大阪の高校に通っていた人なら古典の授業の一環としてここを訪れた人も多いだろう。
千日前筋を東に向かって下寺町の交差点に出る。この南東側は生国魂神社をはじめとする歴史散策のコースとして以前取り上げた。この交差点の北東に仁徳天皇を祭っている「高津宮」がある。この神社はかつて最良の展望地だったそうなので仁徳天皇陵が見えていたのかもしれない。今でも少し高いところにあって、階段が何箇所か付いている。その中には悪縁を絶つ『縁切り坂』や良縁に恵まれるという『相合坂』という階段もあるので試してみるのもいいかも。
上り坂になった道をそのまま進んで大きな交差点に出る。ここが谷町九丁目。そのすぐ先の交差点が上本町六丁目(通称上六)。地味なオフィス街としてしか見られてなかったのが、最近マスコミに取り上げられる店が増え、ちょっと注目される街になり始めている。堀江のような感じで新しい息吹がここで花咲いていくのかもしれない。しかしなんといってもここは近鉄上本町駅、近鉄百貨店、閉鎖されてしまったが近鉄劇場などの近鉄グループが集まった近畿日本鉄道の本拠地。球団名売却問題などで世間をお騒がせしているが、日本最大の私鉄会社はこの先どうなっていくのだろう、などと考えながら、そのまま東に向かって近鉄グループの都ホテルを過ぎる頃から下り坂になる。
日赤病院あたりから上町台地を下った下町の風情あふれるJR鶴橋駅の高架が見えてくる。鶴橋のその賑やかさが焼肉の匂いと一緒になって伝わってきそうだ。焼肉屋だけじゃなく、チェーン展開している有名なラーメン屋やお好み焼き屋の本店などもある。国際マーケットを見て歩くだけでも楽しいし、東の生鮮市場「木川市場」は早朝から活気に包まれる。鶴橋やその周辺のことももっと書きたいが、長くなりすぎるので次の機会にする。
完結までに長い時間がかかってしまったが、西九条~鶴橋も歩くだけなら2時間くらいのもの。見慣れた街並みの中にちょっとは新鮮さを感じてもらえたかな?と思いつつ、今回の環状線横断歩行を終わることにする。
15 「鉄人28号がいる復興の町新長田」へ⇒
14 「大正区渡船場巡り」へ⇒
13 「神戸東灘酒蔵めぐり」へ⇒
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